text by Shingo Jinno
世界に意味を与える意志 (in English)
私たちは生まれ育った環境や、その中で手にした書物、眼にした映像などを通して自分の世界観
を形成していく。その中で、世界に在る様々な「もの(物、者)」に、そしてその「もの」と「もの」
との関係に意味を付与していく。その意味の総体、意味の体系を文化と呼ぶならば、個々の世界観は
個人の文化だと言えるし、共有できる意味の広がりが、より大きな単位での文化を成立させてもいる。
かつてはその意味を強制することで、民族や人種の違いを強調し、様々な過酷な状況が現出した
りもしたが、今では「グローバリズム」の名の下に、意味の違いは薄められ、世界市民として共有す
べき意味の体系が世界中を覆うという傾向の方がより強まっていると言えるだろう。我々はみな、大
きな世界共同体の構成員として在ることを期待されているわけである。しかしその一方で、壮大で支
配的な世界市民としての意味の体系の中に身の置き所のない私たちも同時に存在している。そん
な私たちの個人的でしみったれた何ものかは、世代や趣味、嗜好による小さな文化的まとまりを形
成し、その小さなまとまりの中で、そこでしか共有されない「言語」「感覚」のみに依存し、閉じて
いく。表面的な多様性が保証されることで無数の蛸壺の中に籠もり、外部との交感を不必要なものと
して切り捨てる私たちがそこにはいる。家路に向かう通勤電車の中で携帯メールを打ち続ける彼女、
携帯ゲーム機に向き合う彼。その隣に他人の私が座っていても、そこには関係の可能性は何ら開か
れてはいない。関係に意味が与えられないならば、彼らにとって私は存在しない・・・。
偶然に森村誠の元に届いた誤送信されてきた電子メール。その宛名のThomasを森村は捜そうと
試み、彼(彼女)の存在を様々な形で想像していく。《Thomasを探して》で、森村は何のために
Thomasを捜し、その姿を想像しようとしたのか。親切心から?好奇心から?おそらくはそんなことは
どうでも良くて、既存の関係性から逸脱して、自分が何ものかとの関係を自らの意志で築こうと試み
ることをこのアーティストは欲し、それを視覚化しようとしたのだろう。その何ものかが、実体のあ
るものであろうとなかろうと。
電車の中でメールを打つ彼女の隣に座った他人の私は、彼女にとって何の意味も持たない存在と
して彼女の文化の中では位置づけられる。森村の作品は、冷たく拒絶するそうした文化の壁を、ユ
ーモアと献身的な身振りで組み換えようとするもののように見える。そしてその行為を通じて、森村
は世界に意味を与える主体であろうとしつづけているようだ。パリの地図の中にThomasを見いだす
こと、辞書の中にThomasを見いだすことは、私たちが囚われている枠組みから抜け出、自らが世界
の意味を組み替える主体となること夢想させてくれる。
神野真吾(千葉大学准教授/現代芸術論)
1993年東京藝術大学大学院修了、東京大学社会情報研究所(現情報学環)研究生を経て、
1995年より山梨県立美術館学芸員として「現代美術百貨展」(2000年)、「新版 日本の美術」
(2002年)などの現代美術展を企画。2006年より現職。現在は千葉アートネットワーク・プロジェクト
(WiCAN)を主宰し、2008年には「ひらがなアート チバトリ」を千葉市美術館などにて開催。
