孤独な挑発者
「何のために作るのか」森村誠の作品を見ていると、どうして
もそう言わずにはおれない。
森村は「A Map of Paris」や「現代英和・笑薬」のタイトル
のように、地図や辞書といった市販の製品を制作に使う。地図
や辞書が役に立つのは、そこに書かれている内容のおかげだ。
しかし、森村は、パリの市街地図の地名から特定の文字以外を
修正液で全部消したり、英和辞書から「は」の文字だけを切り
取ることで、内容を無意味にしてしまう。
そんなことをするのは、アートという大義名分があるからか
もしれない。しかし、制作意図を聞くと、それもちがうような
気がする。「パリで何もいいことがなかった」という思い出だ
とか、辞書から切り取った「は」だけを集めて「笑薬」だとか。
コンセプトやスタイルというよりも、だじゃれや冗談に近い。
森村はただの物好きなのだろうか?材料は地図や辞書といっ
た、どこにでも売っているありきたりのもの。制作方法だって
、修正液で消すとかカッターナイフで切り取るとか、特別な技
術はいらない単純作業。思いつきで、できないことはない。し
かし、それにしては手が込みすぎている。一冊の辞書と向き合
って、ひとつひとつの文字を探しては、カッターナイフで切り
取っていく。考えるだけで気が遠くなる作業だ。
そもそも森村の作品に意味を求めることが、無意味なのかも
しれない。わたしたちが生きているのは、「何のために」とか
「どれだけ」とか目的や成果を求められる世界だ。そこから見
ると、何も生み出さない森村の作業ほど無意味なものはない。
しかし、森村は「何のために」と問われても「別に」と、無意
味な作業に没頭している。その姿は、そんな世界から逃れられ
ないわたしたちにとって、挑発的ですらある。森村の作品をア
ートたらしめているのは、作品よりもむしろこの孤独で挑発的
な姿の方かもしれない。しかし、当の本人はそんなことはおか
まいなしに、自身の作品のように「は」「は」「は」と笑いな
がら、今も独り机に向かっているのかもしれない。
太田明日香
