もう4日ですが、明けましておめでとうございます。
だんだん時間とか季節感にルーズになってきました。
やばい雰囲気がぷんぷんです…;;
今回新年のお祝い行事に何も用意してなかったんですが、
とある方から素敵なもの頂きました(うっは☆幸せ…!!)ので、
そのお返しにと(勝手に)書いてみました。
そんなわけで、此方は矢木様へ(ほんと勝手に)捧げます!
年始からこんな幸せで、私、良いのでしょうか??
ありがとうございました☆










何の冗談だ。
大晦日の盛り場。闇と橙の光が織り成す幻想的な夜。
浮き足立った雰囲気の溢れる店の一角に、居る筈の無い人物を見つけてそう思った。


「やあ、鋼の。久しいな」


軽い口調でそう話しかけてくるその男にぽかんと開けていた口を漸く閉じて、エドワードは男に腕を引かれるまま入り口から奥まったテーブル席に移動した。


「何でこんなとこにいんの」
「有給。少しばかり旅行をね」
「外国の、それもこんな辺鄙な町に?」
「いいところじゃないか。暖かな雰囲気がリゼンブールに何処と無く似ている」
「田舎はどこもこんな感じだろ。此処だって、この町で唯一の酒場とあっちゃ、人だって集まるさ」
「そういえば鋼の。君はまだ未成年の癖に」
「酒は飲まねぇよ!この時期に入ると、この時間はこういった店しか開いてねえんだよ。何処もかしこもセントラルやらイーストシティと一緒と思うなよ」




やいやいと口論じみた言い合いをしているうちに、暖かな湯気の立つ料理がいくばくか運ばれてきた。
予想だにしていなかった晩餐のはじめに、男は笑って酒の入ったグラスを差し出した。




「何はともあれ、お互いの健康に」




なんだそれ、といいながら、イチゴジュースの入ったグラスを男のグラスにカチンと当てた。














終わらぬ旅の果て















この男と最後に会ったのは、エドワードたち姉弟とホムンクルスと軍部が関わり巻き込まれた、国家を揺るがす大騒動の最後の時だった。
アルフォンスを取り戻し、向き合ったのが最後だ。その時この男は視力を完全に失っていた。
後にマルコー博士の持っていた賢者の石で視力を取り戻したことは伝え聞いて知っていたが、その後も彼に会うことは無かった。
アルフォンスは、エドワードとこの男とがその後もう一度会っていると思っている。
本当は、もう一度会う筈だった。
弟とは別行動の旅に出る少し前、エドワードとアルフォンスとは、半年を掛けてアメストリス中を飛び回った。
それまでの旅の中でお世話になった人たちに挨拶とお礼をするためだ。
その中でセントラルに立ち寄った時、アルフォンスはヒューズ家へ、エドワードは軍部へ赴く予定だったのだ。




けれどエドワードは軍部へは行かなかった。












「それにしても君は薄情だ」


懐かしさに話の弾んでいたところで、男が言った。
口いっぱいにステーキを頬張ったまま思わず動きを止めると男が笑う。
大人の表情で、先ほどからグラスばかりに口をつける男に、フォークに突き刺した肉を差し出せば、男はもう一度喉の奥で笑ってエドワードのフォークに噛み付いた。


「聞いたぞ?君たち、旅の間に世話になった人たちにそれぞれ分担して挨拶周りをしたそうじゃないか」
「…だからなんだよ」


男の云いたいことなど一つだ。そう思うのに、そんな風に聞き返す。
薄情だと云われても仕方の無い所業だということは、自分自身が一番分かっていた。
旅の中で誰に一番世話になったかと云えば、それはこの男とその部下たちを置いて他に無い。
リゼンブールの片田舎で生きたまま死に向かってただ息をするばかりだった自分たち兄弟を叱咤し、陽の元へ連れ出してくれた。
旅の中で差し出される手には愛情と、優しさに満ちていたことを知っている。
きつい事を云われたし、厳しい言葉で怒られもしたけど、見捨てられたと思ったことは一度も無い。
殴られた時は辛かったし、不信に陥ったりもしたけれど、逆にこの男がエドワードを疑ったことなど一度も無かった。




「だから薄情だ、と云っているんだ。そろそろ軍部も落ち着いたし、久しぶりにどうしているかと思ってリゼンブールに連絡をしてみれば、君たちは旅に出たと云うから驚いた。しかも今度はアルフォンスとは別行動だろう。むしろ君にこそ護衛をつけてしかるべきじゃないのか?」




云いながら、今度は男がフォークを差し出してくる。
その先にはつけ合わせのセロリがくっついていて、エドワードはそれを口をあけて迎え入れた。




「いい加減、好き嫌いなくせよな。あんたいい年なんだから」
「いい年だからこそ、今更好き嫌いは無くせ無いよ。食べたくなければ食べたくない、という意思表示が許されるのは大人の特権だ」




視界に入るのも嫌なのか、ほら、と云いつつ男は次々エドワードの口元にセロリを運んだ。それを、餌を与えられる雛みたいに次々食べるエドワードを見て笑う。
馬鹿みたいだと思った。男のことじゃない。自分の事だ。
自分に向かって差し出されるフォークも男のこの笑顔も、エドワードの胸中を否応無くかき乱す。高鳴る鼓動と火照る頬を盛り場の熱気のせいにして、エドワードは水を一気に飲み干した。














明るい酒場を出ると、何処までも深い闇が空に広がっていた。冬の冷たい空気が澄んで、白い宝石たちがキラキラとその中に浮かんでいる。
奢ってくれるという男の申し出を有難く受け入れて、支払いを済ませる男を待った。
深呼吸で冷えた空気を体の中に入れることで、指の先まで火照ったこの熱を下げることができるだろうか。そんな馬鹿な事を思いつつ、冷たい空気を体の中にめぐらせる。目を瞑り、白い息を黒い空に送り出す。何処までも昇って消えていく空気の粒に、自分の感情を少しずつ分け与えて、そうしてこんな感情、全てエドワードの中から消えればいいのにと…そんな風に願った。
あの男を思う感情なんて、自分にもあの男にも必要ないのに。




「待たせた」
「ご馳走さん」


背後から掛けられた声にそう返せば男はふ、と小さく笑った。その声さえも白い息となって空気中に広がっていく。
それはとても優しい形をしていた。


「宿は何処だ?」
「この町にはまともな宿だって一つきりだっつの」
「よかった。まともな宿に泊まっていたか」
「いくら俺でも、連れ込み宿に一人では泊まれねえなぁ」
「とかなんとか云いながら、泊まったことがあるだろう」
「アルとな。仕方なしに」
「君たちの旅は、凡そ女の子のする物ではなかったからな」


二人連れ立って、明るい生活の光の溢れる道を歩く。
こんな風に二人で並んで歩くのはいつ振りだろう。
この男と会う時は大抵他の誰かと一緒に居て、二人きりになるのは男の執務室で旅の報告書を上げている時だけだった。
でも、…そうだ。
一度だけ、こんな風に二人で並んで歩いたことがある。
あれはまだ男がイーストシティ勤務だった頃だった。


テロ事件が立て続けに続いたある夏の日、偶々イーストシティに立ち寄ったエドワードの腕を掴んだ男は、男の副官と弟とが副官の愛犬を見に行った隙をついて脱走を図った。
何故エドワードを連れて行ったのかと云えば、エドワードを連れていたほうが後々の副官の怒りが軽くて済むからだと、そんなことを云って男は笑った。
仮眠室の窓から中庭の樹づたいに地面に降りた二人は、堂々とした顔で正門から外に出た。男にとって怖いのは何より彼の副官の美貌の女性であって、正門に詰める兵ではないのだろう。悠々とした男の態度につられて悠々とした顔で門を出たエドワードに、「肝が据わっている」と笑う男の顔は幾分幼く見えた。


二人で歩く舗装された道。
暑い日だった。街路樹の作る木陰は僅かで、赤いコートの下の機械鎧はどんどん熱を高めていくのが自分で分かった。
ぼうっとする頭を抱えて、歩く男の隣を歩いた。…幸せだった。
長い間、エドワードの心の底でじりじりと燃えて焦げ付き続けている感情が、その時すでに存在していた。


彼は愚かな事をしでかしたエドワードの胸倉を掴んで叱ってくれた唯一の大人だった。そして自分たちの未来を照らしてくれた人だった。
暗闇に沈んで見えなかった自分たちの進むべき道を、可能性を、この男が提示してくれた。
生きながらに死と向かいあってただ存在するばかりだったエドワードを、この世に引き戻してくれた。それだけで最早、この男は特別だった。


何を話したのだろう。よく覚えていない。気付いた時には熱の篭るばかりの機械鎧を装着していたエドワードの顔色が真っ赤になっていることに気付いた男に抱き上げられて、涼しく冷えた喫茶店の片隅で首元に冷えたタオルを当てられていた。心底心配している様子の男の優しい指先が触れるたび、エドワードの体は真夏の太陽にさらされる以上に熱を高めた。
あの時も幸せだった。
たったひと時でも…そうして触れ合えた事が。ただの共犯者で庇護者で後見人のこの男と、それでも優しい時間を持てた事が幸せだった。








「それで、まだ戻るつもりは無いのか?」




宿が漸く見えた通りの先で、男が云った。「戻る」と云うが、一体何処に「戻る」というのだろう。リゼンブールにか、セントラルにか。あるいはアメストリスという意味で云っているのだろうか。どちらにせよ、それは旅の終わりを尋ねる言葉なのだろう。




「まだ戻らねえ。何も、…進展してねぇし」
「つくづく、君たちが追い求めるものは伝説級だ」
「あんたの追い求めるものだってそうだろう。大総統の椅子が最終目的地じゃねえんだろ?…壮大すぎて、…俺には皆目検討もつかねぇ」




云って、苦笑を交し合う頃には宿についていた。
静かな夜だ。もう、それほどの刻も待たずに年が明ける。
こうして二人並んで歩く事だってもう無いだろう。
いい夜だった。輝かしい、幸福な…そしてとても静かな夜だった。
それはエドワードの中でもそうだ。浮き足立つことなく静かに刻む鼓動の音が、昔の母の幸せそうな顔を思い出させた。
きっと、母はこんな風に父を愛していたのだろう。静かで、穏やかな優しい気持ちで父のことを思っていたのだろう。






「じゃあ、また」




云って自分の部屋の前で右手を差し出す。
男は僅か黙って、小さく微笑むとそっとその掌を取った。




「じゃあ、また」




そして握られる掌。
機械鎧だった頃には、こうして握手することがあっただろうか。この男と、こうして手を繋ぐことが。
覚えていないのは、きっとそんなことが無かったからだろう。
これまで一度たりとも繋がれた事の無い掌が、今、こうして取り戻した自分の掌の内側に存在している事が幸福で、喉の奥が熱くなる。
あの夏の日とはほど遠い空気に、重ねた年月を思う。凪いだ空気はそのまま、この男との間に流れる信頼の証でもあるような気がした。何年経っても、どれ程のブランクがあっても、…会えばまたこうする事ができるだろうか。一緒に食事をして、昔話と近況とを交互に語り、隣を歩いて。
何年経っても。この男が、あの人と結婚しても。










ホムンクルスとの戦いの光景が脳裏を過る。
煙幕と弾丸と焔と鋼とが織りなす戦場の光景。
その中で、視力を失い、それでも戦意を失わなかったこの男の隣には、美貌の副官が寄り添っていた。










目を瞑り、脳内に浮かびあがるその光景を打ち払う。
何もこんな時に思い出す事もないだろう。
折角の夜だ。穏やかな、優しい…二人きりの夜なのに。
繋がれた掌は温かく、男の黒い瞳はエドワードのことだけを見ている。
それ以上に、この瞬間、…何を望むというのだろう。










「―――…なんて、この手をすぐに手放すと思うか?」






くつり、と男の喉の奥で音がした。






「…大佐、」




呼ぶのと同時だ。男がエドワードの掌を握ったまま歩き出した。
二つ隣の部屋の扉を開き、そうしてエドワードごと部屋に入った。暗い部屋には明かりが着いていなかった。間取りはエドワードの借りた部屋と同じなのだろう。
薄闇の中に簡素なベッドと小さな机が見えた。その机の上で、窓からの街の光を銀色に反射する、…あれは。
そう思った瞬間、視界が何かに遮られた。






「…逢いたかった」






暖かな腕が、エドワードの背中を抱きしめていた。
頬にあたるコートの感触。男の呼気がエドワードの項を擽った。
男の腕の囲う小さな空間の中に、エドワードは閉じ込められている。
何処からが自分の温度で、何処からが男の温度なのかが分からない。
薄闇の中の光景がじわりとなにかに滲んでいた。




…何が起こっている。




「…たい、さ」
「…鋼の、…エドワード、」




呼ばれる自分の名前と、力の強くなる腕に、頭が震えた。くらくらと、闇が揺れる。
何が起こっている。何が起こった。一体、何が、どうして。


熱に浮かされ男の隣を歩いた、あの日のように何も考えられない。
気づけば頬を涙が伝っていた。濡れた感触が頬を預ける男のコートに触れて、そこからじわりと広がった。
泣いているのは自分なのか。そう思う程、溢れる涙とエドワードの意思の間に齟齬があった。現実感がない。まるで夢の中のようで…。






「…泣きたいのは此方の方だ」






僅かに身を離し、エドワードの頬に溢れる涙を優しい指先が拭う。
その仕草に余計に溢れた情動が、エドワードの涙を誘う。悪循環だった。
次々溢れては零れる涙をぬぐうのを諦めたのか、男がエドワードを抱き上げた。そっと下ろされた先にある簡素なベッドに横たえられて、男がエドワードに覆いかぶさる。




闇の中に浮かぶ漆黒の瞳。そこに輝く光に視線が釘付けになっていた。




「…エドワード、」






そうして額に小さなキスが。
幼い頃、母に、祖母に、父に、弟に、…愛する者たちに貰ったキスにも似た、厳かなキスが降ってきた。


「…抵抗しないのか」


何を言っているのだろう。
こんな、親鳥が雛に与えるようなキスをしておいて、何を云うのか。




「なんで、抵抗すんだよ」




ひっく、としゃくりあげながらの言葉は弱々しくて、まるで力無い少女か子供のようだ。
こんな姿は見られたくない。見ないでほしい。そう思って両腕で顔を隠そうとした。その手を、男に取られて拘束される。昆虫標本のように身体を広げてベッドの上に張り付けられて、男の目の前に晒される自身の身体が悲しかった。見ないでくれ、と。つぶやいた言葉は更に弱々しく、狭い部屋の中にさえ響かずに消えて行った。




いつでも傲岸不遜な、少年のようなエドワードだけを覚えていて欲しかった。
打てば響く言葉のやり取りや、仕事上の連携や、錬金術談義に燃えたエドワードの事だけを覚えていて欲しかった。少年のような、史上最年少国家錬金術師―――…自分が後見をしていたのだと、それだけ覚えていてくれれば、それだけで満足だった。




…こんな女のような仕草をしたら、きっと比べられてしまう。
あの人と。
―――…ホークアイ中尉。
彼の唯一。彼の最愛。


あの人と比べられたくない。


誰もあの人にはかなわない。この男の目の代わりになんて、エドワードには成れない。
そんな信頼関係なんてない。
あんな風に寄り添うことなんてできない。
この男に全てを捧げて、…この男の為に。










「…エドワード、」
「…見ないで、」




顔を背けてエドワードは泣いた。
もうその涙は隠しようもない。


悲しかったし、悔しかった。
どうしようもないから諦めた。諦めたつもりで、それでも辛かった。
彼らに会いたくなかった。会ってしまえば、いろんな汚い感情で自分自身が雁字搦めになることなど分かり切っていた。


恋情と嫉妬と羨望と諦観と、…それでも諦めきれない願いが混然とエドワードの内側に降り積もって、そうしてまたじりじりと焦げ付いていくに違いなかった。それがやり切れなった。




だから逃げた。
だがら軍部へ行かなかった。
旅の最中、最も世話になった人たちへの義理も果たさず。






「…見ないで、」
「何故?」




男が優しい手つきでエドワードの頬を撫でる。解放された方の手でそれを払いのけようとすると、男が再びその手を取った。




「だって、俺、…汚い」
「…汚い?」




怪訝そうな声で男が云った。
その声に応えられる言葉など無くて、エドワードはただしゃくりあげながら黙った。
このまま何も無かったかのように此処を出て行きたかった。
男の手を振り払い、殴るなり蹴りを入れるなりして、『ふざけんな』と、…いつもみたいに。






「…何が汚い、鋼の?」




優しく尋ねながら、男が身を屈めた。
ちゅ、と小さな音と共に唇が額に落とされる。
それでも言葉を紡がず、だんまりを貫き通そうとするエドワードに痺れを切らしたのか、男が頭上で大きなため息をついた。
そうして今度は身体ごと、エドワードの上に降りてくる。
拘束された腕を解放され、今度はその両腕に身体を抱きしめられた。






「汚いのはむしろ、私だろう」






云われた言葉の意味が分からなかった。
ぎゅう、と一際強い力で抱きすくめられた次の瞬間、男が身体を離す。
エドワードの顔の横に肘をついて、ベッドに広がる金糸を頭ごと撫でた。
そして―――…男が顔を寄せる。思わずきゅ、と目を瞑った暗闇の中で、唇に柔らかな感触が降ってきた。
次いで、濡れた感触。




思わず目をあけた先に、真剣な顔をした男の瞳が此方を見ていた。
この夜のように穏やかな、けれど熱を内包した漆黒。キラキラ輝く光の粒が美しかった。






「…―――大佐?」
「泣くな、エドワード。泣いても、…止めてやることなど出来ない」






そして与えられたのは、大人の匂いの濃厚な、男の激しいキスだった。










































目を覚ますと、闇は僅かに明るさを増していた。
夜明けが近いのだろう。
新しい一年の初めの朝。
長い長い、夜間飛行の終わりの朝だ。






疲れと倦怠感の残る身体で寝返りを打つと、男はすうすうと穏やかな呼吸を繰り返して眠っていた。
エドワードの背中を抱きしめる腕は温かく、素肌同士が触れ合って心地良かった。






『君が好きだ』




昨夜、男の熱に翻弄されながら何度も聞いたその声を思い出す。




『愛してる。鋼の…エドワード』
『旅を、止める必要なんて無い。だが帰る場所はリゼンブールでは無く私のところだ。私の居るところ。…それがイーストでもセントラルでも…君の帰る場所は私の元だ。この腕の中。…それを忘れるな』
『ずっと好きだった。一度は諦めざると得ないかと思った。君が私に内緒で旅に出たのだと知った時、会いに来るはずだったのが来なかったのだと知った時、…君に嫌われていたのかと、絶望さえした』
『君を好きなんだ、…他でもない、君だけを』






「エドワード、」




男に寄り添い、目をつむって男の声を反芻していたエドワードを、男が呼んだ。
そして目元に小さなキスが贈られて、その擽ったさに目を開くと男が驚いた顔をして此方を見ていた。




「…起きていたのか」
「起きてると思って俺のこと呼んだんじゃねえのかよ」




云うと、バツの悪そうな顔をする。




「…余りに愛おしくて、思わずな」
「…何云って、…馬鹿じゃねえの」
「馬鹿は君だろう。中尉との仲を疑った挙句、失恋だと勝手に決めつけて勝手に旅立った愚かもの。…君のおかげで、どれほど私が落ち込んだか。…リゼンブールに帰省したアルフォンスから連絡を貰った時には、これが最後のチャンスなんじゃないかと思った。その他の全てをなげうってでも、君に会いたかった」
「それで、こんな辺境の町に旅行?」
「そうだよ。年末の警護も新年の催しも、全てさぼって来た。帰ったら鬼の顔した中尉を前に執務室に缶詰だ」




嫌そうな顔をしながら、男の腕がエドワードの背中をぎゅうと抱く。
男の胸に掌と耳を押しあてて、暫くは男の中に響く力強い音を聞いていた。




「…あんた馬鹿だな。今回の事は、下手すりゃ犯罪者の仲間入りだぜ。セックスの最中に告白って、…あんたどうかしてる」
「振られる覚悟で君を追ってきたは良かったが、君はどう贔屓目を差し引いても私を嫌っている感じじゃなかったし、節々で見せる視線や仕草はどう見ても女のそれだった。君の中にあるのが恋愛感情なのかどうかと云われれば自信がなかったが、ひとまず意識はしてくれているらしいと分かって、箍が外れた。…何処まで君が許してくれるものかと…調子付いた事は否めないな。君も私の事を好きでいてくれて本当によかった」


ちゅ、と再び男が額にキスを落とす。
その甘い仕草に耳が熱くなった。


「…本当に俺のこと好きなの?」
「…なんだ、まだ疑うのか?なんならもう一度位、身体に教えてやってもいいが」
「…茶化すなよ。俺は本気で聞いてんの」
「聞くまでもないことだろう。さっき、君も云ったじゃないか。こんな処まで君を追ってきて、挙句犯罪まがいの事をしでかした。…君が好きだよ。もう、ずっと前から。君たちが全てを取り戻したら、告白するつもりだった。そうしていざ告白しようとリゼンブールに連絡してみれば、君は居ないし、挨拶にも来てないしで、…これでもかなりへこんだ。責任とってくれ」
「責任って、」
「嫁に来てくれ」






云った瞬間、男の腕に力がこもったのが分かった。
軽い調子で云ったこの言葉が、本気なのだとそれで分かった。
それが嬉しくて、少し恥ずかしい。
思わず俯けば、よしよしと後頭部を撫でられた。
子ども扱いに腹を立てればいいのか、甘やかされていることに喜べばいいのか分からず仏頂面になるエドワードに、男が心底楽しそうに笑うから、釣られてエドワードも少し笑った。
男の胸元にすり寄ると、優しい腕がエドワードの腰を抱いて引き寄せた、そんな仕草に愛情を見る。
この男の愛情。温もりを。
そしてこれまでいつでも淋しかった身体の中の空洞が満たされるような気がした。




「…今すぐは無理」
「分かってる」
「何時までかかるかもわかんねぇ。…何時か、待つのがしんどくなるかも」
「それは今までとそう変わらないだろう。偶には戻ってくれればそれでいい」
「他にいい人出来たりして」
「君に?相手を燃やし尽くしてもいいなら、好きにすればいい」
「あんたにだよ!」
「あり得ないな」
「…本当に?」
「…何が」
「…俺の事、好き?」






窓から光が差し込んできた。部屋の中の闇が薄れていく。エドワードを見つめる黒い瞳に光が差し込んで、薄い色素の中に虹彩が光って見えてた。不思議な色だった。引き寄せられる色をしていた。


太陽が昇るんだ。
太陽はいつでもこうやって昇ってくる。
アルフォンスと二人愚行を強行したときにも。
この男がリゼンブールでエドワードに焔を灯した日にも。
ホムンクルスとの戦いが終わり、多くの物を失った時にも。
多くのものを得た時にも。


…きっと、この男の視力が戻った日にもこうして太陽は昇っただろう。


苦しかった年月を通り過ぎ、新たな日々を刻むために。






「…好きだよ。君はどうなんだ」




優しい瞳に見つめられ、長い指先に頬を撫でられてまた視界が滲んだ。
洟をすすると男が笑う。




「…察しろ、馬鹿」
「君らしいな」






朝日に照らされて、机の上、銀時計がキラキラと輝いていた。それは多分男のものだろう。エドワードの銀時計は随分前に軍に返還されて、それきりだ。
あの頃には、この男の唯一の絆だと思っていたそれが、今はただ、そこに存在している。
絆では無く、繋がりでも無く、ただそれは銀時計として、そこに存在していた。




「大佐、…目、」
「うん?」




そっと男の瞼を指先で辿る。




「視力、…戻ってよかった」
「…鋼の」
「ほんとに…よかった…」






おれもほんとは逢いたかった。
ずっと。








呟いた声を最後に、男は再びエドワードを抱きしめた。
冷たい冬の朝。
新しい年の初めに。


温かな毛布の中でしばしの時を共に。
絆は、いつでも、この握られた掌の中にある事を信じて。